『正しさ』という”悪”

少しだけ、僕の昔話をすると
かっての自分は、ものすごく『正義感』が強かった。
「これは違う!!!」「ルールに則ってない!!」と思った状況であれば、小学校のホームルームであろうと休み時間であろうと、放課後の公園であろうと、声を荒げていた気がする笑

その結果どうなったかというと、小学校の卒業アルバムの投票企画で
「厳しい人」というカテゴリでぶっちぎり1位だった記憶笑
※そもそも「厳しい人」カテゴリってなんやねん的なツッコミしたい( ;∀;)笑

それから十数年の月日が経った今は、そのころよりはだいぶ、柔らかくなった気はする。
そして今思うのは、『正しさ』とか『正義』とか『正論』とか『常識』ほど、やっかいなものはないな、ということ。

今の世の中、ネットが毎日のように炎上していることから分かるように、『正義』や『正しさ』、『常識』に溢れている。
けど、そもそも『正しさ』とか『常識』って、自分が過去に経験してきたもの、過去に仕入れた情報から判断してるんであって、
その正しさが相手と一緒かなんて、まったく分からない。
というか違うことの方が多いよね。
生まれた国、地域、家庭、性別、時代……
要因を挙げてけばホントにキリがない。

ありとあらゆる理由で、『常識』って言葉には問題点が詰まっている。そしてその正しさは、ときに相手を傷付ける…という意味で”悪”になりうる。

 

「多様性を受け入れる」とか「相手を知る」とか、これに関する色んな似たような言葉がある中で、自分が改めて伝えたいのは
「自分の脳内は『正しさ』で溢れている、日常で『正しさを押し付けている』ということを、腹の随から認識すること」
だ。

自分がこうしたい、こうあるべき、という拘りを持つのは全然良いと思う。
ただ、それを「相手に押し付ける」のは、話が変わってくる。
そして、人間誰もが、それを秒単位でやっているということだ。
あなたも、もちろん僕も。

『常識』が相手に当てはまるかどうかは、決して分からない。
というかその『常識』は、自分の思い込みかもしれない。
なので、その『正しさ』や『常識』を相手に押し付けず、自分だけに留めておくことって大切だと思う。
自分の中の『拘り』であれば、それは今後の成長などに、きっと優位に繋がる。

 

誰もが自分の中で、正義や正しさを持っている。
そしてそれは、所詮は自分だけのもの。
だから、まずはそれを自覚する。
その『常識』はしょせん、自分だけのもの、ってね。

 
 

ちなみに、自分はそう風に思うから発信するけど、
じゃあこれを相手に押し付けたら、結局同じことになっちゃうよね。
なので、あくまでも『自分はそう思う』の領域は出ないように気をつけていきたいかな。

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